2007年10月02日
アリストテレスの論理学
名前: アリストテレス
生年月日: BC 384年
没年月日: BC 322年3月7日
学派: ギリシア古典哲学
研究分野: 形而上学、自然科学、詩学、倫理学、政治学、他多数
影響を受けた人物: プラトン、他
影響を与えた人物: 古代哲学・イスラム哲学・中世哲学・神学等に広範な影響
アリストテレス(古典ギリシア語:Αριστοτέλης、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。中世スコラ学に影響を与えた。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とみなされるほか、その多岐にわたる自然研究の業績から、「万学の祖」とも呼ばれる。またアレクサンドロス大王の家庭教師であったことでも知られている。英語風に発音したアリストートル(Aristotle)も日本で時折使用される。
生涯
アリストテレスは前384年、マケドニア王の侍医の息子としてマケドニアのスタゲイラに生まれた。 17歳のとき、アテナイにあるプラトンが主催する学園アカデメイアに入門し、そこで20年間学生として学び、その後アカデメイアの教師として後進の指導にあたった。そして前347年にプラトンが死ぬまでアカデメイアに留まった。
前347年、マケドニア王フィリッポスの招聘により、王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の家庭教師となった。アリストテレスは弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。
前335年、王子が即位すると、アテナイに戻り、自らの学園リュケイオンを開いた。弟子たちとは学園の歩廊(ペリバドス)を逍遥しながら議論を交わしたため、彼の学派は逍遥学派(ペリバドス学派)と呼ばれた。
アレクサンドロス大王の死後、アテナイではマケドニア人に対する迫害が起こったため、前323年母方の故郷であるカルキスに身を寄せた。そこで病に倒れ、前322年に死亡した。
アリストテレスの業績
アリストテレスによる書き物は元々は550巻ほどあったともされるが、そのうち現存しているのはおよそ3分の1である。ほとんどが講義のためのノートあるいは自分用にしたためた研究ノートであり、公開を想定していなかったため簡潔な文体である。様々な経緯を経て、ロードス島のアンドロニコスの手に渡り、紀元前30年ころに整理編集された。それが現在「アリストテレス全集」と呼ばれているものである。
文学
アリストテレスによれば、芸術創作活動の基本的原理は模倣(ミメーシス)である。文学は言語を用いての模倣であり、理想像の模倣が悲劇的成立には必要不可欠である。作品受容の目的は心情の浄化としてのカタルシスであり、悲劇の効果は急転(ペリペテイア)と人物再認(アナグノーリシス)との巧拙によるという。古典的作劇術の三一致の法則は、彼の『詩学』にその根拠を求めている。
論理学
アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく弁証論を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として、三段論法などの形で体系化された。
アリストテレスの死後、彼の論理学の成果は『オルガノン』(Organon)6巻として集大成され、これを元に中世の学徒が論理学の研究を行った
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